大阪高等裁判所 昭和57年(う)515号 判決 1985年1月31日
衛生検査員
A
自営業
B
右Aに対する建造物損壊、暴力行為等処罰に関する法律違反、威力業務妨害、不退去、証人威迫、建造物侵入、傷害、住居侵入、Bに対する住居侵入各被告事件について、昭和五六年一二月一八日神戸地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人両名から各控訴の申立があったので、当裁判所は、次のとおり判決する。
検察官 丸谷日出男 出席
主文
原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。
被告人Aを懲役一年に処する。
被告人Aに対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
被告人Aが大川公喜と共謀のうえ、昭和四六年五月一一日午後七時ころ、事件の審判に必要な知識を有する川那辺完枝を威迫したとの同月二一日付起訴状記載第一の公訴事実(原判示罪となるべき事実第三の(三)の証人威迫の事実)につき被告人Aは無罪。
被告人Bの本件控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人分銅一臣、同浦功共同作成名義の補正控訴趣意書と題する書面記載のとおり(但し、主任弁護人分銅一臣において、以下のとおり釈明した。(イ)第一・2・二は、原判決に誤記があることを主張する趣旨である。(ロ)第一・6「原判決中の法律判断部分の事実誤認について」及び第二「法律判断の誤りについて」中の各事実誤認の主張は、これらの個々の事実誤認を独立の控訴理由として主張する趣旨ではなく、原判決の判示各所為に関する構成要件該当性の法的評価ないし違法性の判断について、原判決がその前提となる争議の経過等に関する事実を誤認し、その誤認と法的判断の誤りとが相まって、第二において指摘しているような法令の解釈適用の誤りを生ぜしめるに至っていることを主張する趣旨である。(ハ)第二・2ないし4の主張は、原判示第二(一)、(三)、(四)、第三(三)、第四の各事実について、第一の事実誤認の主張によっても犯罪構成要件該当性が否定されない場合に備えて、仮定的に法的評価に基づく構成要件該当性の阻却ないし違法性の阻却の事由があることを主張する趣旨である。第二・5のうち原判示第二(一)、(三)、(四)、第三(三)、第四に関する可罰的違法性なし、との主張についても同趣旨である。(ニ)第二・5のうち公訴権濫用に関する主張は、刑事訴訟法三七八条二号にいう不法に公訴を受理した場合にあたることを主張する趣旨である。)であり、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官検事高橋哲夫作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用するが、当裁判所は、所論並びに答弁にかんがみ、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、以下のとおり判断する。
第一本件労働争議の概要
原判決挙示の関係証拠によって明らかで、被告人らも特にこれを争わない本件労働争議の経緯として、以下の事実が認められる。
一 神戸市長田区平和台町一丁目一三の二所在の私立平和台病院(以下単に病院ともいう。)は、昭和三七年ころ医師阿部煥の出資により設立された外科及び内科の診療を中心とする病院であり、順次増築を重ね、昭和四五年ころには、木造二階建の旧館及び鉄筋四階建の新館に、外科、内科の各診察室、三〇床余りを有する病室、従業員寮等を備えた規模になったが、そのころ外科は、院長である阿部煥(以下阿部院長または院長ともいう。)が、内科は同人の実弟である医師阿部醇が担当していたほか、事務長を同人らの実父阿部道貴が、会計を実母阿部繁子が担当するという、いわゆる典型的な同族経営の病院であった。
二 ところが、同病院の労働条件は劣悪で、昭和四五年ころ、同病院には、前記同族関係者をも含め医師三名、栄養士二名、看護婦(准看護婦、看護学生を含む。)九名、衛生検査員一名、事務関係者九名が勤務していたが、労働組合はなく、ことに看護婦は、一般水準より著しく賃金が低いうえ、ベッド数に応じて必要とされている人員の半数前後しか確保されておらず、時間外労働が常態化していたのに、いわゆる三六協定が締結されていなかったし、時間外勤務に対する割増賃金も支払われていなかった。また、看護学校等に通学している者に対しては、病院において学費の立替払いをしていたが、右学校を卒業後二年間は、義務的に同病院に勤務するかまたは右学費相当分を返還しなければ任意退職を認めないと院長が広言したり、全寮制をとって看護婦の外出・外泊を厳しい許可制にしたり、看護婦らに院長らの私用を命じたりすることなど前近代的な色彩の強い人事・労務管理が行われ、これに対する従業員らの反発が強く、同年七月二七日には、劣悪な労働条件に耐えかねた看護婦二名が夜逃げ同然に無断退職しようとする事態が発生するに至った。
三 右事件が契機となって、同病院内の従業員間に労働組合結成の気運が急速に高まり、同月二九日、総評全国金属労働組合兵庫地方本部常任書記の経験もあり、労働組合運動に詳しい被告人Bの指導の下に、平和台病院労働組合(以下単に組合ともいう。)が看護婦を中心に一一名(翌日二名が新たに加入。)の組合員を結集して結成され、執行委員長に被告人Aが就任し、翌三〇日には「諸要求に関する団体交渉申し入れ書」と題する書面を院長宛に提出した。右書面には、看護婦の増員や賃金の引き上げといった基本的な要求から、「物品の破損費負担をなくすこと。」「食器は患者の使用するものと別にすること。」といった身近な要求に至るまで一八項目(後に組合活動の自由についての一項目が追加され一九項目となった。)の要求事項が掲げられていたが、右事項のうちとりわけ組合員らの切実な要求は、前述の如く、立替払した看護学校等の学費を返済しない限り退職願を提出しても受理しないなどの院長の専断的な態度に対し、転職の自由の保障を求めた点、及び労働基準法に定められている最低限の勤務時間、時間外労働等に関する規則の遵守を求めた点であった。
なお右組合の運動を外部から支援する地域共闘組織として、被告人Bを書記長とする平和台病院共同闘争委員会が同年八月六日に結成された。
四 他方、前述の如く、同年七月三〇日組合結成通知と一八項目の要求を受けた阿部院長は、右要求に理解を示したり団体交渉に応じようとする態度を示さずかえって強圧的な姿勢で応じたため、同日以降炊事婦二名を除くその余の組合員全員が就労を拒否し、事実上の争議状態に入った(同年八月五日、労働関係調整法に基づく争議通告。)。
これに対し病院側は、同日から連日のように争議参加者への処分をほのめかしたり、患者に対し争議の不当性を宣伝する文書を立て続けに発行して切崩しを画策するなどの手段をもって対抗し、争議は泥沼化の様相を呈したが、兵庫県地方労働委員会(以下地労委という。)の斡旋により予備折衝を経て同年八月八日にともかく第一回の団体交渉が開催され、その後翌昭和四六年一二月一日病院側によって病院閉鎖、従業員全員解雇が強行されるまでの間、断続的に、昭和四五年八月八日から同月二四日頃までの間に約一〇回(第一期団体交渉という。)、同年一〇月三一日から同年一二月一五日ころまでの間に約五回(第二期団体交渉という。)、昭和四六年二月一七日から同年六月二五日ころまでの間約三〇回(第三期団体交渉という。)の団体交渉、同年一〇月七日から同年一一月一〇日ころまでの間に地労委の現地調査という形式による事実上の労使交渉(第四期団体交渉という。)がそれぞれ開かれ、その間前記一九項目の要求のうち、第二期団体交渉の末期ころまでに、組合事務所及び組合用掲示場所の設置、寮の自治の容認、退職願の無条件受理、従業員用食器の整備、制服等の貸与、看護婦増員の努力、夜勤の制限、時間外手当の支給等の諸事項についてまがりなりにも合意をみ、これについて院長及び被告人Aの署名押印のある文書が作成されるに至ったが、その後、右合意により組合の要求の大半が満たされたとする病院側と、学費返還問題、及び退職金問題についての要求が満たされておらず、更にひんぱんに警察官を病院内に導入して組合を弾圧しようとしたり、組合員に対し個別に切崩工作をしたりする病院側の態度になお重大な問題があるとする組合側との対立が続くうち、昭和四五年一二月二八日に組合員らがそれまで自炊に用いていた寮の炊事場を、病院側が入院患者の皆無を理由に一方的に閉鎖したことから、翌年一月以降組合側は、争議戦術の拡大強化をはかり対立は一層深刻さを増した。
なお、被告人両名に関する本件各公訴事実は、いずれも右の如く対立の激化した第三期団体交渉の時期以降に行われたとして起訴されているものである。
五 昭和四六年一二月一日に病院が閉鎖された後も、その閉鎖が組合活動を嫌悪した偽装閉鎖である、または不当労働行為に該当すると主張する組合側は、地労委を介して団体交渉の再開を求め続け、中央労働委員会の斡旋もあって予備折衝が継続された結果、昭和五一年六月一一日、病院閉鎖及び全員解雇の撤回、無床診察所としての病院再開、組合員らの現職復帰、金銭賠償等を内容とする組合側の勝利ともいうべき和解が成立するに至り、本件争議は一応の終息をみた。
所論は、本件争議の経過に関し、原判決が(当裁判所の判断)第二法律上の主張に関する判断(二)本件争議の責任と題する部分において、本件争議が長期泥沼化した責任の一端は組合側にもあり、病院側においても基本的には本件争議を団体交渉の場において解決しようとする意思を持ち続けたのに、組合が争議手段として問題とされる諸行動をとったこともその原因をなしていると認定しているが、病院側は、終始組合切崩しに狂奔していたのであって、団体交渉で解決する意思を有していなかったのであるから、右の如く認定した原判決には、本件争議の経過に関する前提事実に誤認があると主張するのである。なるほど阿部院長ないし病院側の組合敵視の姿勢は前認定の如く強固なものであって、本件争議期間中さしたる変化はなかったと考えられるけれども、他面組合側の強い要求にやむなく応じたものであるとはいえ、団体交渉を全面的に拒否したわけではなく、前述の如く相当回数の団体交渉が開催され、当初組合側が強く要求していた退職の自由や労働基準法の遵守の問題についてまがりなりにも文書による合意を成立させていることなどからうかがわれるように、病院側にも団体交渉による解決をする意思が存した点は、これを認めざるを得ないのであって、本件争議が長期化かつ泥沼化した責任の大半は病院側の負うべきものであるとしながらも、組合側の行動にもその原因の一端、換言すれば悪循環の一端を荷った責が帰せられると認定をした原判決に所論の事実誤認は認められない。
その他所論が第一6原判決中の法律判断部分の事実誤認と題して本件争議の経過に関しるる事実誤認を主張する点にかんがみ、記録並びに証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、この点に関する原判決の事実認定には、後に各控訴趣意に対する判断中でも触れるように、所論のいうような事実の誤認があるとは認められない。
第二各控訴趣意に対する判断
一 控訴趣意第二の1、および同5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第一の(一)(1)(2)及び同(二)(1)(2)の事実として、被告人Aが原判示共犯者らと共謀ないし共同して、病院の待合室の天井や壁あるいは窓ガラスに組合の要求等を記載したビラ合計約八二八枚を糊で貼りつけた行為、及び赤または黒ペンキを用いて病院の土間に要求を書きなぐったり、ガラス戸、窓ガラス等に同様の行為(以上を総称して本件ビラ貼り行為等という。)をしたことに対し、建造物損壊罪(天井、壁、土間の汚損に対し)、共同器物損壊罪(窓ガラス、ガラス戸の汚損に対し)に該当するとして、それぞれ刑法二六〇条前段または暴力行為等処罰に対する法律一条(刑法二六一条)を各適用しているが、本件ビラ貼り行為等は、組合活動として行われたものであるところ、第三期団体交渉期間中ないしその直後に組合側が右各行為に及んだ動機及び目的、その行為の態様、病院側の組合に対する不当な姿勢等諸般の事情を総合するならば、いずれの行為もいまだ社会的相当性の範囲を逸脱しているとはいえず、正当な組合活動として違法性を阻却するか、そうでないとしても可罰的違法性を欠くと解すべきであるから、有罪と認めた原判決には、労働組合法一条二項本文、刑法三五条、刑法二六〇条前段、暴力行為等処罰に関する法律一条(刑法二六一条)に関する法令の解釈適用の誤りがあり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
よって検討するのに、原判決が原審弁護人らの同趣旨の主張に対し、(当裁判所の判断)第二(三)(1)「判示第一の事実(ビラ貼等)について」と題し、同第一(一)(1)及び第二(一)(12)2において認定した事実を前提として、本件ビラ貼り行為等に関しその社会的相当性の存否について判断を加えている部分は、その前提事実の認定を含め、当裁判所としても十分これを首肯することができ、原判決に所論の法令解釈適用の誤りがあるとは認められない。
所論は、(1)病院待合室は、病院側がステッカー防止剤を壁面に塗ったために汚損されたのであって、組合側の行為によるものではないのに、原判決が本件ビラ貼り行為等によって病院施設の枢要部が相当程度に汚損されたと認定している点、(2)本件ビラ貼り行為等の目的は、主として病院側に対する抗議であり、単に組合掲示板への貼付や近隣住宅への各戸配布の方法ではその目的を達成できないのに、原判決はそれらの方法でも目的達成が可能であると認定している点、(3)組合側がビラ貼りについて当初は貼布方法、場所、枚数を自主的に制限するなど配慮を加えていた事実を認定していない点において、本件ビラ貼り行為等の正当性判断のために必要な前提事実を誤認している、と主張するのである。
しかしながら、(1)原判決挙示の関係証拠によれば、本件ビラ貼り行為等は、患者が出入りする玄関のガラス戸及び土間、待合室の天井及び壁、薬局の窓ガラス等にほぼ全面にわたってビラを貼りつけたり、ペンキで乱雑な字を大書したというもので、患者らに著しい不潔感、不快感を与えるのみならず、貼付されたビラによって、薬局から患者の様子が見えない状態となってその窓口業務に支障を生ずる程度にまで至っていたこと、及びステッカー防止剤は、糊の粘着力を減少させる薬剤であるが、表面に白い粉状のものが生ずるものの衣服につくこともなく、これによって特に美観を損ねるような性質はないものであることの各事実が認められること、(2)また、原判文をし細に検討すれば、原判決は、本件ビラ貼り行為等の目的である一般公衆に対する宣伝や病院側に対する抗議が他の手段によってもある程度代替可能であったことを認定しているにすぎないことが明らかであって、本件ビラ貼り行為等の目的の全部、とくに病院側に対する抗議の目的が組合掲示板の利用やビラの各戸配布によってすべて達成されるとまで認定しているものではないから、前記所論(2)はその前提を欠いているといわざるを得ないこと、(3)組合側がビラ貼りについては徐々に枚数、場所、方法を強化拡大した点については、原判決も(当裁判所の判断)第二(一)(12)2において正当に認定していること、以上の諸点に徴して考えると、原判決に所論(1)ないし(3)にいう前提事実の誤認があるとは認められない。
次に本件ビラ貼り行為等の社会的相当性について若干付言するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、これらの行為は、いずれも第三期団体交渉の時期以降に行われたものであり、昭和四五年末に、それまで組合の長期争議態勢を支える重要な経済的手段となっていた病院内の炊事場における組合員らの自炊を事実上不可能とする炊事場閉鎖の措置が病院側によってとられ、兵糧攻めともいうべき右措置に危機感を抱いた組合側が翌昭和四六年初頭から、右措置に対する抗議の意味で炊事場前の座り込みを行うとともに、ビラ貼り場所を病院側との交渉で合意していた組合側掲示物の貼布場所(四か所)以外に拡大する戦術をとり、病院側がこれに対抗して貼布の翌日には右四か所以外のビラをはがしてしまう事態が続いたため、次第に組合側がそれまでのセロテープに替え簡単にはがされない方法(糊による)により多量のビラを多数個所に貼布するようになって、そのような事態が連日繰り返され、組合側はビラの内容として、新たに発生する問題についての要求をその都度書き加えるという状況の続くなかで発生したものであること、原判示第一(一)の(1)のビラ約一〇三枚貼布の事実は、病院側が右実態の根絶をはかるため待合室の壁面等のペンキを塗り変えるとともにステッカー防止剤を塗布することを業者に依頼し、ペンキ塗装の終った段階の深夜に被告人Aらが「白衣の監獄を解放するぞ」等と記載したワラ判紙大のビラを待合室の天井のほぼ一面、薬局及び外科診察室の窓ガラス一面等に貼り付けたものであるが、ことに薬局では待合室に面したガラス面に全部ビラを貼布されたため、前述の如く薬局事務担当者と患者との対面が不可能な状態に陥ったこと、原判示第一(二)の(1)及び(2)のペンキによる要求記載行為は、その頃ステッカー防止剤が壁面等に全面的に塗布されていたためビラの貼布ができず、他方組合側としては、団体交渉が中断していたり、会計課長が不当労働行為を行っている事実について糾弾したい欲求を有していたため、玄関コンクリート土間の一杯のほか薬局窓ガラス及び玄関ガラス戸の一面等に赤及び黒色ペンキで、「会計課長は団交に出てこい」等と大書したものであること、原判示第一(一)の(2)の五回にわたるビラ合計約六五五枚の貼布行為は、昭和四六年六月一日に病院側が業者に依頼してステッカー防止剤等の洗浄を行った後、同月二五日に第三期団体交渉が途絶してしまったことから、「怨」などと記載したビラを薬局窓ガラスの一面等に前同様患者との対面が不可能となるような態様でびっしりと貼りつけるなどしたというものであること、以上の各事実が認められる。そして右事実によれば、これらのビラの貼布が美観を損ねるものであることは、明らかであり、またペンキによる要求の記載も美観を著しく損ねる乱雑なもので、その汚損の原状回復は容易なものではないといわざるを得ず、これに加えて、右の如き行為が昭和四六年初頭からその規模態様を次第に拡大しつつ連日のように行われていたこと、汚損された場所が原判決も指摘するように病院内の患者の出入する場所であって、診療、投薬等の行われる場所をも含み、いずれの場所も清潔や静ひつが特に要請される場所に該当することをも併せ考慮すると、これらのビラの貼布やペンキによる要求記載をした動機が所論指摘の如くそれなりの理由があって不当なものとはいえないことを十分斟酌しても、労働組合の活動として社会的に相当な範囲を超えているといわざるを得ず、被告人Aの本件ビラ貼り行為等が労働組合法一条二項、刑法三五条にいう正当な行為であるとも、又可罰的違法性を欠く行為であるとも解されず、この点に関する原判決の法令の解釈適用に誤りは認められなし。論旨はいずれも理由がない。
二 控訴趣意第一の1、第二の2及び第二の5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべく事実第二(一)として、被告人Aが原審相被告人Cほか数名と共謀のうえ、昭和四六年四月一五日午前九時すぎころ、病院外科診察室に入り、同日午前九時三〇分ころまでの間、診察中の阿部院長に詰め寄り、こもごも「警察官導入について釈明せよ」と大声で申し向け、更に被告人Aにおいて、阿部院長のえり元をつかんでゆすり、同日午前九時一五分ころ、同人から退去を命じられたにもかかわらず同日午前九時三〇分ころまで同室に留まり、威力を用いて同人の診察業務を妨害するとともに、同人の管理する同室より故なく退去しなかったとの威力業務妨害罪、不退去罪に該当する事実を認定しているが、被告人Aらは、阿部院長に対し、警察官導入について次回団体交渉までに予備折衝をもつよう冷静に申し入れていたにすぎず、診察業務を妨害するような行為は全くしていないから、威力業務妨害に該当する行為があったとする原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、仮に威力業務妨害罪の構成要件に該当する行為があったとしても、阿部院長が団体交渉のための予備折衝の申し入れを意識的に避け、診察室内に逃げ込んだため、被告人Aらにおいてやむなく診察室内で申し入れをせざるを得なくなったこと等諸般の事情を総合すると、被告人Aらの行為は、労働組合の活動として正当なものであり、労働組合法一条二項本文、刑法三五条により違法性を阻却されるか可罰的違法性を欠く行為であると解すべきである、また、被告人Aらの右申し入れが労働組合の活動として正当なものである以上、その継続中診察室を退去しなかったことは「故なく」退去しなかったものとはいえないから、原判示罪となるべき事実第二(一)の事実につき被告人Aは無罪であるのに、有罪を認定した原判決には、労働組合法一条二項、刑法三五条、一三〇条後段についての法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
よって検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、昭和四六年四月一四日団体交渉の席に病院側の要請により警察官が導入され、団体交渉が中断したため、組合側は団体交渉再開のための予備折衝の申し入れを翌一五日に行うこととし、被告人Aと組合員海野恵子が代表して申し入れをすることとなり、同日午前九時前ころ外科診察室に入ろうとする院長を待ち受け、右申し入れをしようとしたが、院長は話し合いを拒絶し、周囲に集った患者らの助けを借りて診察室内に入ったこと、これに続いて被告人A、海野、共同闘争委員会所属のCが右診察室に入り、申し入れを続行したが、院長はこれを無視したまま患者を呼び入れ診察を開始し、被告人Aらは、採血など危険を伴う診療行為を院長が行っている時間中を除き、院長の診察中も同人の退去要求を無視して、同日午前九時三〇分ころまで右申し入れを続けたことの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
さらに進んで右申し入れの具体的態様について案ずるに、右の機会に診察を受けた患者である遠藤千代、辻本角藏は、いずれも検察官に対する供述調書中でその目撃状況について供述し、遠藤は、頸動脈からの採血を受けるため同日午前九時五分ころ診察室に入ったところ、被告人A及び組合員の看護婦が大声で激しく院長に食ってかかっていたが内容はよく聞きとれなかった、早く診察して下さいよ、会社がありますからと大声で言い、採血を受けたが、その後もまた被告人Aらと院長は口論を続けていたと供述し、辻本は、血圧測定のため同日午前九時二五分ころ診察室に入ると、後で名前を知った被告人Aらがばかやろう、交渉を何故しないのか、一週間に二回しかやらんのかと大声で言っていた、院長がこのような状態なので診察ができないからしばらく待ってほしいと言っていたと供述しているのである。
なるほど右両名は、第三期団体交渉期に入って病院側と組合側との対立が一層深まり、入院患者の受入れを停止するなど病院の診療体制にも混乱が生じていることが明白な時期に、それ以前と同様にあえて同病院に通院を続け、しかも四月一五日の右受診当日も、被告人Aらと病院長が何事か言い争っているのを認識しながら積極的に診察室に入って診察を受けようとする態度をとったのであって、このような事情から考えると、右両名が、所論も指摘しているように、病院側に親近感をもち組合側に反感をいだいていた疑いもなくはないが、他面右両名は、同病院の単なる患者であって、その労使関係に直接の利害関係を有するものではないこと、両名の供述内容自体を検討しても、見聞し得ないことを供述したり、見聞した事実についてあえて誇張したりするなどの不自然性は認められず、例えば遠藤は、採血を受けているときには被告人Aらは申し入れを中断していたことを率直に供述しているのであって、四月一五日当日に右両名が見聞したとする前記供述内容の信用性は高いといわざるを得ない。
そうすると右供述内容及び原判決挙示の検察官作成の昭和四六年四月二四日付捜査報告書、牧野武夫作成の現場写真撮影報告書(撮影日昭和四六年四月一五日のもの)を中心とする原判決挙示の関係各証拠によって、被告人Aらが診察中の院長に詰め寄り、大声で要求を申し向けその診察を妨害したとの事実を認定した原判決の事実認定は十分首肯することができる。
次に被告人Aが院長のえり元をつかんで前後にゆする行為の有無について検討するのに、阿部院長は、捜査段階及び原審公判廷を通じて、被告人Aから白衣のえり元を握られて前後にゆすられた旨供述し、単に院長の身だしなみを注意する意味でえり元を一回閉じたのみではないかとの趣旨の弁護人及び被告人Aの反対尋問に対しても、激しい労使紛争中であったその当時に身だしなみについて被告人Aから親切に注意を受けるような雰囲気は全然なかった旨明確に答えているのであって、その供述内容の一貫性、具体性、合理性に前認定の診察室内の状況をも併せ考慮するならば、被告人Aの前記行為に関する阿部院長の原審公判廷における供述は十分措信することができるといわなければならず、所論に沿う被告人A及び原審相被告人Cの原審公判廷における各供述、すなわちえり元を正したのみであるとの点は、前認定の如く団体交渉再開のために激しく院長に詰め寄っていた被告人Aの行動としては到底理解できない不自然なものであって、阿部証言の前記信用性を左右するに足りるものではない。
従って被告人Aが阿部院長のえり元をつかんで前後にゆすったとの原判決の事実認定もまた正当として是認することができ、以上説示したところによれば原判示第二(一)の事実中、原判示の威力の行使と診療妨害の事実があったことは明白であり原判決に所論の事実誤認は認められず、その他所論にかんがみ記録を精査して検討しても、原判決の事実認定を左右するに足りるものはない(なお原判決中((当裁判所の判断))第一(二)(1)の一行目判示第一の(一)とあるは第二の(一)の誤記と認める。)。事実誤認の論旨は理由がない。
次に、法令の解釈適用の誤りの論旨について検討するのに、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人Aらは、当初阿部院長が診察室に入室する前に申し入れを行う予定で待ち受け、二階から一階に通じる階段途中で右申し入れを行って院長に拒絶されたため、同院長が外科診察室に入るとほぼ同時に同診察室に入ったこと、他方外科診察は午前九時に開始されるのが通例で、四月一五日当日もすでに数人の患者が待合室で診察を待っていたこと、被告人Aらの前認定の如き態様の申し入れが約三〇分間継続されたため、平静な状態での聴診器、注射器の使用が困難となり、なかには脈音が聞こえなくなり血圧の測定が不能となった患者もあったことの各事実が認められる。
そうすると原判決も指摘する如く、申し入れの態様が大声で詰め寄るのみならずえり元をつかんでゆするという暴力的なもので、かつ時間的にも短時間とはいえず、さらに右申し入れが労使関係に無関係な患者の身体の安全に重大な危険を及ぼしかねない外科診察行為中にも継続されたことが明らかであって、たとえ所論の強調する如く被告人Aらの本件申し入れの動機、目的が前日の団体交渉の席上への病院側の警察官導入問題に対する釈明要求、および右問題に対する予備折衝開始の要求を主眼とするものであって、右目的自体不当と目すべきものではないこと、及び阿部院長においても診察開始前に話し合いの日時場所を指定するなどすれば混乱を防ぎ得たと考えられることを十分斟酌しても、組合活動として正当と認められる範囲を逸脱していることはいうまでもなく、労働組合法一条二項本文、刑法三五条により違法性を阻却する場合ないし可罰的違法性を阻却する場合に該当しないと解するのが相当であり、従って被告人Aらが故なく退去しなかった場合に該当すると解した原判決に所論の法令の解釈適用の誤りはない。本論旨も理由がない。
三 控訴趣意第一の2、第二の4及び第二の5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第三(三)として、被告人Aが争議支援者大川公喜と共謀のうえ、昭和四六年五月一一日午後七時ころ、同被告人の原判示第二(原判決罪となるべき事実に第一とあるのは第二の誤記と認める。)(一)の威力業務妨害事件の証人であり事件の審判に必要な知識を有する川那辺完枝に対し、病院薬局受付口において、同所の木製カウンターをたたきながら、「お前警察ででたらめな証言しやがって。」「覚えておけ。」などと怒号し、同女に不安困惑の念を生じさせて証人を威迫したとの事実を認定しているが、(1)被告人Aが大川と共謀した事実はない、(2)被告人Aが「でたらめばかりいいやがって」と言ったことはあるが「でたらめな証言」云々の言葉を発した事実はない、(3)被告人Aは、川那辺の組合に対する日頃からの誹謗中傷に対する抗議の趣旨で「でたらめばかりいいやがって」と発言したのであって、右発言は、原判示第二(一)の事件と関係がなく、右行為は威迫行為に該当しないし、被告人Aに証人威迫の故意もない、以上三点で原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、仮に原判決に事実の誤認がないとしても、労働争議の際における関係者の言動について証人威迫罪を適用することは慎重であるべきであって、被告人Aの原判示行為が右罪の構成要件に該当する威迫行為であるとは解されず、その構成要件該当性を認めた原判決には刑法一〇五条の二の解釈適用に関する誤りがある、また仮に右行為が同罪の構成要件に該当するとしても可罰的違法性を欠くので、証人威迫罪の成立を認めた原判決には、この点で法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
よって検討するのに、原判決挙示の関係証拠によれば、被告人Aは、原判示第二(一)の事実により現行犯人として逮捕されたが、昭和四六年五月一一日に神戸地方裁判所において勾留取消決定に対する準抗告棄却決定が出されたのに伴って釈放され、同日夕刻の病院前の組合の門前集会に参加し、午後七時ころ右集会が終ったため、寮の自室に戻るべくいつものように病院玄関から入り、玄関に続く待合室に面した薬局受付口前において、同所の木製カウンターを一回叩いて薬局内で執務中の院長秘書川那辺完枝の注意を引きつけたうえ、同女が警察で述べた内容について同女を難詰する趣旨の発言を一言発し、続いて被告人Aの後から待合室に入ってきた争議支援者大川公喜が同様にカウンターを一度叩いて「覚えておけ。」と言ったこと、その後、被告人Aは、右薬局の西角を曲って自室に向う途中、さらに「お前金魚のふんみたいに院長のけつばかりつけやがって」と言ったが、被告人A及び大川の以上の言動は、薬局の外側を通行する間になされたものであって、すべてを合わせても一分前後の出来事であったこと、川那辺完枝(昭和一九年生)は、昭和三六年ごろから病院に見習い看護婦として勤務し、昭和四二年ころから院長秘書として、外一名とともに医師会との連絡事務、保険請求手続、カルテの清書等の職務を担当していたが、昭和四五年本件争議開始後は、四名に増員された院長秘書とともに、従来の職務のほか、組合を批判する内容のビラの作成、貼布、配布をしたりテープレコーダーを携帯して組合員の言動について情報収集を行ったりするほか、非組合員を結集して第二組合を結成しようとする動きの中心として活動するなどして組合員らと鋭く対立していたものであって、組合員らは同女を突撃隊長などと呼んでいたものであることの各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
まず、川那辺完枝が警察で述べた内容について同女を難詰した被告人Aの発言内容について検討するのに、原判決も説示する如く川那辺完枝の原審公判廷における供述及び同女とともに薬局内で執務中であった薬剤師梁明子の検察官に対する供述調書中には、被告人Aが「でたらめな供述」または「でたらめな証言」との言葉を用いた旨の供述がみられるが、右各供述内容をし細に検討すると、川那辺は、原審公判廷における証言時(昭和五五年一一月一一日及び一二月一九日)にすでに被告人Aの具体的発言内容を詳細には記憶しておらず、趣旨としてそのような発言があったと思う旨の供述をしているのであり、梁の供述内容も、被告人Aと大川との発言を一体のものとして聞いたというもので、具体的な発言内容についての記憶がそれほど正確でないことが明らかである。これに加えて当審において取調べた関口文子の検察官に対する昭和四六年五月一七日付供述調書謄本中の同人の供述は、外科診察室にいた看護婦である同女が、木製カウンターを叩く音に驚いて薬局の方をのぞくと、被告人Aが「お前警察ででたらめばかりいいやがって」と発言したというのであることを考慮すると、被告人Aが原審及び当審公判廷において、一貫して供述する如く、「供述」とか「証言」の文言そのものは、これを使っていないのではないかとの合理的疑いが残るといわざるを得ず、関係証拠を総合すれば、同被告人の発言の具体的内容としては、「警察ででたらめばかりいいやがって」と認定するのが最も正確であると考えられる。しかしながら、原判決が被告人Aの発言として「お前警察ででたらめな証言をしやがって。」と認定判示したのは、その発言内容を一言一句発言どおりそのまま認定した趣旨ではなく、要するに、川那辺完枝が警察で述べた内容がでたらめであるとして同女を難詰する趣旨の発言をしたことを認定したものと解されるのであるから、この点において原判決に事実の誤認があるとは考えられない。
次に、被告人A及び大川の言動、すなわち被告人Aが薬局受付口前の木製カウンターを一回手で叩いたうえ、「警察ででたらめばかりいいやがって」と言い、大川がさらに右カウンターを一回手で叩いて、「覚えておけ」と申し向けたことが、原判示第二(一)の事実に関し、川那辺を威迫する行為に該当するか否かについて検討するのに、なるほど原判決が指摘するように、これを認定するについての積極的な諸事情、ことに被告人Aが右事実について釈放された当日の出来事であること、「警察」という言葉が用いられていること、川那辺が当時年令二七才位の女性であったこと等の諸事実の存在することは否定しがたいけれども、他方前認定の如く川那辺は、組合に対し強い対抗意識を有し、積極的に反組合的活動を行っていたものであること、右発言のなされた当時、薬局内の川那辺の隣には梁が座っており、隣接する外科診察室には阿部院長や看護婦らが、待合室には患者らがいたことが関係証拠によって明らかであること、これに対し被告人A及び大川は勿論以上の情況を十分認識しながら前記言動に及んだのであるが、その態様はごく短時間に事件との具体的関連性に触れることなく前記文言を発したにとどまり、かつ被告人Aは引き続き「金魚のふん云々」の事件と関連性がないと解される言葉を発していること、被告人Aが原判示第二(一)の事実により身柄拘束中に捜査官から聞くなどして、被害者ではなく多数の目撃者中の一人である川那辺が右事実に関し具体的にいかなる供述をしているかを知っていたと認むべき証拠はないこと、以上の各事実を総合するならば、被告人Aの原審及び当審公判廷における供述中、原判示第二(一)の事実による身柄拘束をようやく解かれて寮の自室に戻ろうとしたとき、たまたま日頃から反感をいだいている川那辺の姿が薬局のガラス越しに見えたので思わず腹立ちまぎれになした言動であって、自分が拘束された事実と川那辺との関連は、警察でも全く聞かされておらず、念頭になかったとの点は、あながち不合理なものとして、その信用性を否定し去ることはできず、被告人Aらの前記言動が、これを一体のものとして考察しても、原判示第二(一)の事実に関連してなされたものであるのか、あるいは右と関連しない川那辺に対する個人攻撃にとどまるものであるのか、また本件争議のなかで日常病院側職員と組合員との間で厳しい口調の批難の応酬が繰り返されるという事情のもとで、川那辺に不安困惑の念をいだかせるに足りるものであるか否かについては、いずれも合理的疑問が残るといわざるを得ない。
川那辺は、原審公判廷において、被告人Aと大川の発言を聞いたときは、あまり怖さを感じなかったが仕事を終え帰宅した後、夜になって涙が出るほど怖さを感じて長田警察署に電話で被害申告した旨供述しているのであるが、川那辺の前認定の如き地位、経験、活動状況、ことにテープレコーダーを用意して組合の違法行為を積極的に収集しようとする態度をとっていたことに照らすならば、あとになって急に怖さを感じたとの供述部分はいささか不自然で作為的であるといわざるを得ず、右供述内容は、被告人Aらの言動を聞いて怖さを感じなかったとの点で前説示をむしろ裏付けていると考えられるのである。
以上によれば、被告人A及び大川の原判示言動をもって、原判示第二(一)の事実に関し川那辺を威迫したものであると認めるには合理的な疑いを入れる余地があるから、証人威迫罪にいう威迫行為に該当すると認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認が認められる。本論旨は理由がある。
四 控訴趣意第一の3、第二の2及び第二の5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第二(三)の事実として、被告人Aがほか数名と共謀のうえ、昭和四六年九月七日午後七時すぎころ、病院待合室に入り、同日午後七時二四分ころまでの間、阿部院長が先に労働争議の実体を訴えたビラを付近住民に配布したのは不当であるとして、同待合室において、携帯マイク及び口頭で「一九項目貫徹」「病院のデマ宣伝は許さない。」などと怒号し、同日午後七時一五分ころ怒号のため診察ができなくなった阿部院長が外科診察室から同待合室に出て退去を要求したにもかかわらず、同日午後七時二四分ころまで同室にとどまり、かえって同人をとり囲んで詰め寄り、被告人Aにおいて同人の大腿部を数回膝で蹴り、あるいはその顔面に唾を吐きかけるなどして同人の診察を不能ならしめたとの威力業務妨害罪、不退去罪に該当する事実を認定しているが、右事実認定には、(1)右時点における被告人Aらの行動は、昭和四六年五月一四日以降病院側が組合旗の掲揚の制限を通告する等一段と不当労働行為の姿勢を強めたことに対応して、それまで行っていた門前集会に続いて待合室における院内抗議行動を新らたに付加し、朝は毎日、夜間は火、木、土の各曜日に各一五分程度行っていたものの一環であって、住民に対する病院側のビラ配布に対する抗議のみが動機ではないのに前記の如く認定している点、(2)阿部院長が待合室に出てきたのは、警察官と予め緊密な連絡をとったうえ、主要な組合員あるいは共同闘争委員会のメンバーを逮捕させるためであって、同院長の診察を不能ならしめた事実がないのにそのように認定している点、(3)被告人Aらが同日午後七時二四分ころまで待合室にとどまったのは、阿部院長が自ら招いた混乱の結果であるのに正当な退去要求に応じなかった如く認定している点、(4)被告人Aらが、怒号したり、院長をとり囲んで詰め寄ったり、同被告人が阿部院長を蹴ったり、唾をはきかける等した事実がないのにそのように認定している点においてそれぞれ判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、仮に事実誤認の主張が理由がないとしても、被告人Aらの右院内行動はその目的、態様等諸般の事情に照らすと社会的相当性を逸脱しておらず、正当な組合活動として違法性を阻却するか、可罰的違法性を欠き無罪であるのに有罪を認定した原判決には労働組合法一条二項、刑法三五条、刑法二三四条、一三〇条後段に関する法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
よって検討するのに、阿部院長は原審公判廷において、同年九月七日の午後六時ころ外科診察室において診察を開始したこと、同日午後七時七、八分ころ十数名の組合員、支援者らが待合室に入り、病院のビラはデマであるとかデッチあげであるとかの演説をしたのち、携帯マイク及び口頭でシュプレヒコールを始め、その声のために血圧の測定等の診療が困難となったこと、患者の藤本保美を診察のため問診をしている際に声も聞きとれない状態となり、午後七時一二分ころ診察を打切って待合室に出て、退去要請を記載したビラを示すとともに、口頭で「やかましいから診療に関係のない人は出て下さい。」と叫んだこと、すると被告人Aに右ビラをいきなりもぎ取られたうえ、膝で右の大腿部付近を蹴られ、次いで五〇センチメートル位の距離から唾を頬に吐きかけられ、さらに被告人Aらに詰め寄られたため待合室の長椅子の上に上らざるを得ない状態に追いこまれたこと、退去要請をする前に警察に通報してあったため、午後七時二〇分ころ警察官が到着し、退去させてほしい者として長椅子の上から病院職員ではない共同闘争委員会所属の支援者を名指しで特定した後、被告人Aを名指ししたこと等原判示認定に沿う事実を供述しているのであるが、右供述は、それが第一、五で認定した如く組合側と和解が成立した後になされていること、時間的経過については病院側作成のメモによって、騒然たる状況で問診が不能になったことについては患者である藤本保美の検察官に対する供述調書によってそれぞれ裏付けられていること、被告人Aから暴行を受けた点についての供述は具体的で迫真性に富み、例えば被告人A本人が唾は大声で怒鳴り合った結果たまたまかかったものではないかと反対尋問したのに対し、しゃべっていてつばが噴霧状態に飛ぶというのではなく、まとまってペッとかかったのであり、最大の侮辱であるから忘れることはできない、と明確に答えていることをそれぞれ考慮するならば、信用性が高いと考えられ、右阿部院長の供述を含む原判決挙示の関係証拠によれば、原判示第二の(三)の事実はこれを肯認するに十分である。
これに対し、所論は、阿部院長が共同闘争委員会所属の者らを警察官に名指しした行為から明らかな如く、本件は阿部院長が予め警察官と綿密な打ち合わせのうえ、共同闘争委員会の破壊を計るため、診察妨害の事実がないのにあえて組合の院内行動を妨害しようとしたために発生したものであって、阿部院長の前記供述内容は措信できないと主張し、被告人Aの原審及び当審公判廷における供述、原審証人玄番宏侑の供述には右所論に沿う部分があるが、阿部院長が平常通りの診察業務に従事中診察が不能となる状況が発生したことは前述の藤本保美らの供述によって明白であって、このような状況の除去を警察官に要請することは不自然とはいえず、被告人Aらを名指ししたことについても、所論のいうように作為的であるとは考えられないことに照らすと、右被告人Aらの供述には十分の信を措きがたく、とうてい前記阿部供述の信用性を左右するに足りないといわざるを得ない。そうすると前記(2)ないし(4)の所論はいずれも採用することができない。
次に(1)の所論について検討するのに、原判示時点における被告人らの行動がすでにその頃日常化していた院内抗議行動の一環であって、その目的が病院側のビラ配布の不当性を訴えることのみに限定されるものでなかったことは関係証拠によって明らかであるから、その目的を右の如く限定して認定した原判決は、その限度において事実の認定を誤ったものといわざるを得ないが、関係証拠によれば九月一日ころ病院側が近隣住民に組合の活動を批判する内容の文書を配布した事実があること、当日のシュプレヒコールのなかに右文書の配布を非難する文言もあったことが認められ、他方既述の威力業務妨害、不退去の態様、程度に照らすと行為の目的の認定が右のように正確性を欠くからといって、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはとうてい認められない。
その他所論のるる主張するところにかんがみ、記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して検討しても、原判決に所論のいうような判決に影響を及ぼすべき事実誤認は認められず、事実誤認の論旨は理由がない。
さらに、法令の解釈適用の誤りを主張する論旨について検討するのに、本件威力業務妨害、不退去の行為が診察行為が現に行われていることを認識しながらあえて行われていること、退去要請をしようとする阿部院長に暴力を加えてこれを妨害しようとしたこと、暴行の態様も蹴ったり唾を吐きかけるなど看過し難いものであること等の諸情況を考慮するならば、シュプレヒコール等が組合の日常的な院内抗議活動の一部であってそれ自体に不当性が認められないことを斟酌しても、本件行為が組合活動として正当な行為であるとか可罰的違法性を欠く行為であるとは認め難いといわざるを得ず、原判決に所論の法令の解釈適用の誤りはない。論旨は理由がない。
五 控訴趣意第一の4、第二の2及び第二の5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第二(四)の事実として、被告人A、原審相被告人C、同Dがほか約三〇名と共謀のうえ、阿部院長が昭和四六年一一月三〇日付で病院を閉鎖し全従業員を解雇する旨通告したことに抗議する目的で、同月二九日午前九時一〇分ころ、診療業務を開始しようとした院長に対し、同日午前一〇時五分ころまでの間原判示暴行を加えるなどして威力を用いて右業務を妨害するとともに、右暴行により同人に対し加療約一〇日間を要する傷害を負わせたとの事実を認定しているが、(1)右時点における被告人Aらの行動の目的は、あくまで団体交渉の開催申し入れとその応諾を求めることにあったのに、前記の如く単に抗議目的に出たものと認定している点、(2)被告人Aらが原判示の如き威力ないし暴行を阿部院長に加えたことはなく、同院長の傷害は、病院側職員や警察官らが同院長を救出しようとする際、右の者らの行為によって発生したものであるのに、被告人Aらの暴行によるものであると認定している点において、それぞれ判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、仮にそうでないとしても、右病院閉鎖、全員解雇の通告は、不当労働行為に該当するものであって、診療妨害の非難を受けやすい診察室を避け病院外で団体交渉に応じさせるべく、阿部院長を取り囲むなどの行為に及んだことは当時の諸情況から判断すればやむを得ないものであって、社会的相当性の範囲を逸脱するものではなく、正当な労働組合活動として違法性を阻却するか可罰的違法性を欠く行為であるから、有罪を認定した原判決には労働組合法一条二項、刑法三五条、刑法二三四条、二〇四条に関する法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
まず事実誤認の論旨について検討するのに、所論(1)の点については、阿部院長の原審公判廷の供述自体によっても被告人Aらが繰り返し団体交渉開催の要求をし、これに対し阿部院長があくまで「相談する。」とのみ答えて団体交渉を応諾しなかった事実を容易に認めることができ、後記所論(2)に対する判断中において説示するような被告人Aらの暴行の態様に徴するならば、原判示も認定する如く、被告人Aら組合員並びに争議支援者らに病院閉鎖、従業員全員解雇を強行しようとする阿部院長に対する抗議の目的もなかったとはいえないものの、当時地労委からも病院側に対し強い勧告の出されていた団体交渉の開催を要求することに組合側の第一義的な目的があったと認めるのが相当であるから、抗議目的のみに出たものと認定した原判決には事実の誤認が認められる。
しかしながら、原判決も本件行為の労働組合の行為としての正当性ないし可罰的違法性を判断するにあたって、右抗議目的を違法不当なものでないことを前提としながら、その行為態様に主眼を置いて違法性の存否の判断をしていることは原判文上明らかであるから、行為の目的が、第一次的には原判示のような抗議ではなく団体交渉の開催要求という同じく正当性を具備し、より緊急性の認められるものであったことを考慮しても、後記認定の傷害にまで至る激しい暴行態様に照らせば右誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは考えられない。
次に所論(2)について案ずるに、原判決が(当裁判所の判断)第一(二)(4)において、所論と同様の原審弁護人及び被告人らの主張に対し、証拠説明を加えている部分は、当裁判所としてもこれを首肯することができ、原判決に所論の事実誤認は認められない。
若干付言するのに、本件当日の情況について阿部院長は、原審公判廷において、同年一一月二九日午前九時ころ薬局受付に入ると、病院閉鎖の前日であるのに患者が二〇名位待合室に待っており、とりあえず右患者に転院のための紹介状を渡していたが、数名の患者から診察してほしいと強く要請されたため、やむなく薬局から外科診察室に向うべく待合室に出たこと、しかし診察室に入る直前に一〇人前後の組合員らによって玄関前ポーチに連れ出され、そこで一四、五名のものに二重ないし三重に取り囲まれ、足の甲を意識的に踏みつけられたり、膝蹴りをされたり、囲みの人の輪で絞めつけられたり、原審相被告人Cから右手の指をさかねじされたこと、被告人A及びBが輪の外から団交どうするんだと叫んでいたが、息苦しくなったので、ゆるめてくれと頼むと、輪が少しゆるめられた間に、その件については診察時間が終ったら相談しようというと、今でなければだめだと再び絞めつけられたり、バンドを強く引張られてバックルがバンドからはずれ、ズボンが落ちたこと、さらに病院前道路上において原審相被告人Dから、羽交締めにされたりした後警察官によってパトカーに乗せられ東本病院に運ばれたこと、同病院において医師東本春男の診断を受け、原判示傷害についての治療を受けたが、最も重いものは両足の甲部の表皮剥離であったこと、どういう原因で各傷害が発生したかについては、混乱していたため記憶がないが、病院側職員や警察官が救出しようとして手荒な行為をしたり、パトカーに乗せられるとき頭を打った記憶は全くないことをそれぞれ供述しているところ、右供述内容自体に不自然不合理な点がないばかりか具体性にも富み、阿部院長を取り囲んで強く絞めつけた状況については、昭和四六年一二月一日付司法巡査神原利久作成の現場写真撮影報告書の各写真(ことに二枚目及び六枚目)により、バンドを引張られたりなど暴行を受けた点については、同年一二月二日任意提出された片袖のない白衣及びバックルにより、傷害の点については医師東本春男の検察官に対する供述調書及び同医師の原審公判廷における供述によりそれぞれ裏付けられていることに徴するならば、原判示認定に沿う前記阿部供述の内容は十分措信できるといわなければならない。
所論は、阿部院長の暴行を受けた状況に関する被害供述と傷害の部位が正確に一致しないことを右供述内容の信用できないことの一つの論拠として主張するけれども、前述の如き多人数で取り囲まれたうえ、連続的に受けた暴行の態様に徴するならば、個々の傷害とこれに対応する暴行をすべて記憶していないからといって、前記阿部供述が不自然なものとは考えられない。
そうすると信用性の認められる阿部供述を中心とする原判決挙示の関係証拠によって原判示事実を認定した原判決の事実認定は正当であるといわなければならない。
その他所論にかんがみ記録並びに証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討しても原判決に所論の事実誤認は認められず、論旨は理由がない。
次に法令の解釈適用の誤りに関する所論について検討するのに、病院閉鎖、従業員全員解雇の通告が被告人Aら組合員の生活基盤を決定的に脅かす重大なものであること、同年一〇月初旬から同月一〇日ころまでの間に地労委の積極的な斡旋により交渉が進展し、いわゆる平井五項目提案の趣旨に沿った合意を成立させるべく、全面解決のための団体交渉開催の日時が設定されるという段階にまで進んでいた状況にあった際、病院側によって一方的に前記通告がなされたものであること、既述の最終的な和解内容をみても右病院閉鎖、従業員全員解雇の措置は必然性を欠き労働組合とその活動を嫌悪した不当労働行為であったと認めざるを得ないことを考慮すると、右閉鎖通告による閉鎖の期限の前日である本件当日に、被告人Aら組合側において阿部院長に対し強く団体交渉を求め、かつ病院閉鎖、従業員全員解雇に抗議することは正当な目的に出たものであると考えられるけれども、阿部院長の身体の自由を拘束するため、意識的に二重三重に取り囲んで人の輪で絞めつけたり、軽微とはいえない前記暴行を加え傷害を負わせていることを考慮すると、右目的の正当性、緊急性を十分斟酌しても労働組合の活動として正当なものであるとか可罰的違法性を欠く行為であると評することはできず、原判決に法令の解釈適用の誤りは認められない。本論旨も理由がない。
六 控訴趣意第一の5、第二の3及び第二の5のうち可罰的違法性の欠如を主張する部分について
論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第四として、被告人A及び同Bらがほか約一五名と共謀のうえ、阿部院長が所在不明となったことについて、同人の妻阿部美子方に赴いて抗議するとともに、その行方を追求しようと企て、昭和四七年二月二九日午後八時二〇分ころ、阿部美子の居住しているマンションに、管理人のした立入禁止措置に反して侵入し、同女方前廊下で騒ぎたて退去要求にかかわらず同日午後八時二八分ころまで同所に留まり、他人の看守する邸宅に故なく侵入した、との事実を認定しているが、(1)被告人らは、寮の電気、ガス等打切り問題等について緊急に団体交渉を持つ必要があったため、阿部院長の連絡場所と認識していた右場所に団体交渉を要求するために赴いたのであって、原判決は被告人らの目的を誤認しており、(2)被告人らが口々に怒号したり、退去要請を無視した事実もないから、原判決には、右の点において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、仮にそうでないとしても、被告人らの行為は、組合の活動として行われたものであるところ、その目的、態様等諸般の事情に照らすならば、社会的相当性の範囲内にあり、労働組合法一条二項、刑法三五条により違法性を阻却する場合に該当する行為であるから、故なくマンションに入ったものでないか、あるいは可罰的違法性を欠く行為であるから原判決には労働組合法一条二項、刑法三五条、一三〇条の解釈適用を誤った違法がある、というのである。
よって検討するのに、原審証人藤原喜代松は、原審公判廷において、原判示平野マンションは、四階建三〇戸の賃貸マンションであるが、半分の一五戸を株式会社センター商会が、その余を昭和不動産株式会社が所有し、その建物全体及び敷地の管理をセンター商会の代表取締役であり、同マンションに居住している同証人が行っていたこと、昭和四六年一二月ころ一階一〇二号室について阿部院長の妻である阿部美子と賃貸契約をし、同年末に家族が入居し、当初は阿部院長も同居していたが、翌昭和四七年一月ころから連日のように組合関係者らしき人達がマンション敷地内に立入り、歌を歌ったり一〇二号室前で阿部院長出てこい、美子を出せ、ここを開けて面会させろなどと叫んだり戸を叩く行為が開始され、阿部院長がいなくなったこと、右行動は夕刻に行われるため、マンション住民からなんとかしてほしいとの苦情が管理人である藤原のもとに寄せられ、組合員らにやめるよう制止したこともあったが聞き入れられず、警察に相談したことがあったこと、警察官から立入禁止の表示をしたらどうかの示唆を受けた同人は、昭和四七年二月二六日畳大の板二枚に、自筆で平和台病院共同闘争委員の敷地内立入を厳禁する旨の文言を記載して、マンション敷地への入口二か所に掲示したこと、しかし同月二九日午後八時ころ二〇人ほどが右掲示を無視して敷地内に入り、一〇二号室前で前同様の叫び声をあげながら戸をドンドン叩くので、管理人室から出て口頭で二回ほど退去要請をしたところ、間もなく制服警察官らによって排除されたことをそれぞれ供述しているところ、同人は本件労働争議に全く無関係な第三者的立場にあること、その供述内容は具体的で不自然な点がないことに照らすと、同証人が供述時に年齢八〇歳であることを考慮しても、右供述内容は大筋において信用するに足りるといわなければならない。
そうすると、被告人A及び同Bも加わっていた二月二九日の行動が、それまで継続的に行われていたものと同様、大声で叫ぶ、戸を叩くなど隣近所に迷惑を及ぼす騒然とした態様で行われたこと、管理人の退去要請にかかわらず警察官によって排除されるまで同所から退去しようとしなかったことは明らかであって、これに反する被告人A及びBの原審及び当審公判廷における供述内容は措信することができない。所論(2)に指摘する事実認定の誤りはない。
次に所論(1)について案ずるに、関係証拠によれば、昭和四六年一二月一日警察官の援助により病院閉鎖を強行した阿部院長は、その後組合側の団体交渉要求を嫌って住居を移し、同月九日ころ同院長の妻においてその母の名義で賃借した前記平野マンションに転居し、一月一〇日ころまで同所で家族と同居していたが、その後は東京へ単身で転居したこと、二月初旬ころ同マンションに院長の家族が居住していることを知った組合側は、他に同院長に団体交渉を求める手立てがないうえ、そのころ病院閉鎖に伴い、被告人Aらの居住していた寮の電気、ガス等の料金の支払いも停止されたため、電気、ガス等の供給が停止され、事実上居住できなくなるおそれが発生していたため、一日おき位の頻度で同マンション一〇二号室に団体交渉要求のため、院長の行方の追求に出向いたことの各事実が認められる。
所論は、同マンション一〇二号室には二月二九日当時も阿部院長が居住していたし、そうでないとしても被告人A、同Bら組合側の人間は、同所に阿部院長が居住する事実を信じていたと主張し、被告人両名の原審及び当審公判廷における供述には右所論に沿う部分があるが、被告人Aは、二月初旬はじめて右マンションに赴いて阿部美子との面会が得られた際、同女から阿部院長がすでにいないと聞かされ、被告人Bもその旨の報告を受けたこと、被告人らは近隣の住民及び管理人藤原らの理解を得るため、ビラを配布したり実情を訴えたりしていた機会に、うわさとして同院長がすでに転居していると聞かされていたこと、及び二月二九日に至るまで一度も同マンションは勿論それ以外でも阿部院長を見かけていないことの各事実は、関係証拠によって明らかで、被告人両名も原審公判廷において特にこれを争っておらず、以上によれば遅くとも本件当時には組合側にも同マンションには阿部院長が居住していないことが判明していたと推認することができ、同旨の認定をした原判決の事実認定は正当といわなければならない。
右事実を前提とするならば、被告人らの原判示行動が、究極的に団体交渉をもつ緊急の必要性に基づくものであったとしても、その行動の直接の目的が阿部院長の家族に対し、同院長の行方不明に抗議し、その行方を追求することにあったものであることはこれを認めざるを得ない。
右の点に関し、所論は、阿部美子は阿部院長の妻であって平和台病院が同族経営であったことにかんがみれば、同女も同病院の労使関係に責任を有する立場にあったと認められるから、単なる家族に対する要求と異ると主張するのであるが、原審証人阿部美子は原審公判廷において、自分自身は経営に全くタッチしておらず、会議の際のお茶汲み、栄養士が休んだ場合の応援程度の手伝い程度のことをしていたにすぎないと供述しているところ、前に第一、本件労働争議の経緯で認定したように病院の規模がさほど大きくないこと、阿部院長のほか同院長の実弟、実父母が経営に参画していたことを考慮すると右供述内容は十分合理的であり、その他所論を裏付けるに足りる具体的証拠がないことに徴するならば、所論は到底採用することができず、阿部美子が本件労働争議に直接の関りのない家族にすぎなかったとの原判決の認定に誤りの認められない以上、被告人両名の原判示行動の直接の目的は、右マンションにおいて団体交渉を要求することにあったというより、院長の行方不明に対する抗議及びその行方の追求にあったものと考えざるを得ない。
その他所論のるる主張するところをつぶさに検討し、記録並びに証拠物を精査し、当審における事実取調の結果を参酌しても原判決に所論の事実誤認は認められず論旨は理由がない。
さらに法令の解釈適用の誤りを主張する論旨について案ずるに、本件行為が前認定の如く管理者のたび重なる口頭の警告を経てなされた相当な大きさの掲示板による明示のかつ厳重な立入禁止の意思表示を無視して行われたものであること、同マンションに家族しか居住していないことが判明していながら、到底平穏とはいえない態様で行われていることの各事由を考慮するならば、被告人Aら組合員としては寮生活や病院再開について団体交渉を早急に開いてもらいたいため阿部院長の行方を追求したいとの無理からぬ動機、目的があったとしてもなお労働組合の活動として行き過ぎがあったといわざるを得ず、正当な行為であるとか可罰的違法性を欠くものであると解することはできない。本論旨も理由がない。
七 控訴趣意第二の5のうち公訴権濫用を主張する部分について
論旨は、要するに、被告人両名に関する原判示各所為の目的、動機の正当性、態様、結果の軽微性に加え、警察が民事不介入の原則を破って本件労働争議弾圧のため多数回にわたって意図的に介入した結果公訴提起に至った事案であること等諸般の事情を総合すると、本件は公訴権の濫用に該当するから、公訴を棄却すべき場合であり有罪の判決をした原判決には、刑事訴訟法三七八条二号所定の違法がある、というのである。
しかしながら、既述の各論旨に対する判断、ことに正当行為ないし可罰的違法性の主張に対する判断の部分で説示した如く、被告人両名の本件各行為は、いずれもその目的自体は正当であり、動機に酌むべき点が認められるものの、その態様、結果等に照らし、十分違法性を具備する行為であると認められ、本件公訴提起に関し、それを無効ならしめるような重大な訴追裁量の誤りがあるとの事由は本件全証拠を検討してもこれを見出すことができず、いずれの事実についても公訴権濫用の場合に該当しないとした原判決の判断に誤りはない。本論旨も理由がない。
八 以上説示のとおり、本件控訴趣意中、被告人Aの原判示第三の(三)の証人威迫の事実に関する事実誤認の論旨は理由があり、原判決は、右事実に関する罪と同被告人に関するその余の罪とが併合罪の関係にあるものとして同被告人に一個の刑を科しているのであるから、原判決中同被告人に関する部分は、その全部について破棄を免れない。よって右証人威迫に関するその余の論旨についての判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決中同被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書によって更に判決することとし、同被告人の原判示第三の(三)(昭和四六年五月二一日付起訴状記載の公訴事実第一と同一の事実)の証人威迫の事実については、同被告人が罪を犯したと認めるに足りる証拠がないから同法三三六条後段により同事実について無罪の言い渡しをすることとし、同被告人に関し原判決が認定したその余の各事実について、原判決が同被告人について適用した各法条のうち原判示第三の(三)の事実に関する刑法六〇条、一〇五条の二、罰金等臨時措置法三条一項一号(昭和四七年法律第六一号による改正前のもの)を除くその余の各法条を適用し、被告人Bの本件控訴は理由がないから刑事訴訟法三九六条を適用してこれを棄却することとし、それぞれ主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 田中明生 裁判官 安原浩)